2011-02-20 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ⑥ 大久保領家・道場付近は古期利根川の東遷により、水源が失われた毛長川(古入間川)の自然堤防や湿地があり(自然堤防は足立区伊興方面からの川沿いの陸上交通路であったとも思われます)、また、形成されつつある荒川(中期入間川)の水路にも恵まれています、また、古くからの鴨川・鴻沼川筋の下流地点でもあります 荒川を渡れば、所沢で新設の東山道武蔵路に通じ、そして、大宮氷川神社付近から現在の参道に重なって南下して、JR京浜東北線与野駅付近で斜め左に折れ、鴻沼川筋を下る古道があったと想像されます この古道などの遺構は確認されていませんが地理的条件、大久保廃寺遺物、条理制の跡、広い場所に恵まれていることなどから律令時代の初め頃に群衙があったのではないかと思われます、また、その後の大宮氷川神社付近は祭祀施設として存続していったのでしょう 群衙遺構は、古来からの度重なる荒川の氾濫や最近の開発により失われたか、埋もれているのではないかと思います、いずれにしてもそう長い期間の群衙ではなかったような気がしますが、考え過ぎでしょうか