2011-02-19 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ⑤ 律令時代の初めまでは、東山道方面と東京湾方面を結ぶ往還として、古利根川、元荒川、綾瀬川などの水路(東山道武蔵原始路とも云える路)を利用し、そして、井上(松戸付近)から豊島群衙への路があったであろうと思います(豊島群衙の位置は別として、森田悌氏説は妥当だと思います) 律令体制が確立し、東山道武蔵路(府中ー国分寺ー所沢ー川越ー吉見ー行田ー太田)が整備、完成されると、東山道武蔵原始路ともいえる水路は、その性格上、不安定で危険を伴うであろうことから、使われることが少なくなっていったのでしょう そうなると、交通、連絡の要衝として大宮氷川神社付近は適当な所ではなくなります、そして、新たな要衝となったのが”さいたま市桜区大久保領家・道場付近”だと思います