入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ④

東山道方面、上毛野、北武蔵から東京湾方面への交通・交易・移動は律令体制が確立し、東山道武蔵路が整備されるまで、主に古利根川・元荒川・綾瀬川・芝川などの河川を利用した水路だったのではないかと思われます

鴨川・鴻沼川も近く、伊興から鳩ヶ谷を経る見沼の水路、綾瀬川から宮ケ塔・東宮下(さいたま市見沼区)、下野田・貝殻坂(さいたま市緑区)などの小丘を越えての見沼からの水路、そしてその水縁の陸路も考えられる大宮氷川神社付近は、律令体制が確立し、国府・群衙が確定されるまでの期間の大宮台地の要衝をなす、重要な地点だったと思われます

大宮氷川神社付近が群衙だったとの考えもありますが、かなり大規模な付近の発掘調査でも、群衙と思われる遺構は発見されていませんので(付近のさいたま市見沼区の”御蔵ーみくら”という地名はちょっと気になりますが)、郡衙に準ずるような所であったとは思われますが、群衙ではなかったと思います