2011-02-15 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 ◇ 足立郡衙と足立氏-私的考察 ① 諸先生方の考察・論文・講義録などを見てきましたが、その間に、自分なりに思いついたと言うか、気になったことを(空想、思い込みに近いのですが)私的な推測として、述べて見ます 縄文海進・海退後の鳩ヶ谷支台を含む大宮台地は、周辺をデルタと共に豊かな水域に囲まれていたようです、奥東京湾は浦和南端、見沼、鳩ヶ谷南部、川口安行・戸塚あたりまで入り込み、綾瀬川は現在よりかなり幅広く乱流していたようです、また、台地を刻む鴨川、鴻沼川、芝川や数多くの谷も予想を越える幅、水量を持っていたと思われます 縄文人はこれらの水域を上手に利用し、移動・定住を繰り返しながら、漁労・採集の生活を営んでいたと思われます