入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 足立郡衙と足立氏-18

坂東八平氏は、寛平二年(890年)に平姓を与えられて上総介となり、関東に下った桓武天皇の曾孫高望王の子孫です、彼らは、武蔵・上総・下総・安房・上野・下野・常陸・相模を舞台にして国司押領使・追捕使・鎮守府将軍などを務め、その勢力を拡大していきました

坂東八平氏の中で大きな勢力となったのは秩父氏です、秩父氏は、高望王の孫忠頼から出ており、その子の将常が秩父郡中村郷(秩父市)に本拠を定めて秩父氏を称したことに始まると言われています、秩父氏の子孫は30余りの諸氏に分かれましたが、川口市周辺に土着したものには豊島・江戸などの諸氏がいます

武蔵七党は「武蔵七党系図」によれば横山・猪俣・野与・村山・児玉・丹・西の諸党を指しますが、場合によっては野与の代わりに私市(きさい)を入れたり、村山・西の代わりに綴(つつき)・私市を入れることもあります、こうした党というのは、共通の先祖から分かれた家々が、それぞれ独立性を持ちながら同族として共同体制をとっているものでした、川口市周辺に分布した武蔵七党には、横山党の一族である矢古宇(やこう)氏、野与党の一族である戸田氏がいます

「武蔵七党系図」によると、矢古宇氏は横山党所属の田ヶ谷忠兼の孫師義が矢古宇(川口市草加市)の地に居住し、八国府(やこう)五郎を名乗ったと言われます、また『尊卑分脈』には、平将門討伐に活躍した藤原秀郷の末裔の国平が矢古宇氏を称したともあります、戸田氏は、野与党の一流である箕勾(みのわ)能元の子基泰が戸田(戸田市)の地に住み、戸田六郎を称したとも云います