入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-16

この将門謀反の知らせは直ちに京都に達しましたが、時の政府には自らこの乱を鎮定する力はありませんでした、天慶三年(940年)藤原忠文征東大将軍に任命されましたが、実際に将門追討に功があったのは、彼と彼が率いる追討軍ではなく、将門に討たれた平国香の子貞盛と下野押領使藤原秀郷という、将門と同じ関東の土郷達でした

天慶三年二月一日、貞盛・秀郷の連合軍は下総国川口村(茨城県結城郡八千代町付近)において将門の軍を破り、同十四日、同国猿島郡北山(茨城県岩井市付近)でついに将門を討ち取ったのです

こうして、古代国家の地方支配を揺るがした平将門の乱は、関東の土郷の手によって鎮圧されました、そして、これらのことは、中央政府に対して関東のつわものたちの力を大いに示すこととなったのです、秀郷は従四位下下野守に、貞盛は従五位下にそれぞれ叙され、その一族や子孫が坂東武者として繁栄する基盤となりました

しかし、平将門の乱が平定されて以後も、関東の治安はなかなか安定しませんでした、将門の乱においてその力を誇示した在地土郷たちは、互いに同盟と離反を繰り返しながら、各地で反国衙闘争を展開していました、こうした情勢の中で、平忠常が乱を起こしたのです