入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

◇ 足立郡衙と足立氏-9

墾田の不足を補うために8世紀の前半に施行された三世一身法・墾田永年私財法により、以後、寺社や貴族、あるいは、在地豪族などの手により大規模な荘園経営が行われるようになりました、中でも寺社や貴族は、自己の持つ政治的な地位を利用して、租税を納めない不輸権や国司の介入を拒否しうる不入権などの各種の特権を得、荘園を私領化していきました

こうした状況の中で、在地の豪族たちは、国司の徴税を逃れるため自己の開発した荘園を貴族や寺社に名目的に寄進し、自らはそこの荘官として土地の実質的な所有権を確保するようになっていきます

荘官となった在地豪族たちは、当初は荘園の領主である貴族や寺社に従っていましたが、次第にその支配権を排除し、独立した領主へと成長していきました、彼らは自己の支配領域を権力の介入から守るため武装するようになってゆきます、これが”武士”の発生です

こうして出現した武士たちは、血縁を中心とする同族的な結合によって特定の集団を形成していましたが、それらはやがて、地縁関係などを通じてまとまり、更に大きな武士団へと成長していきました、10世紀の”平将門の乱”に始まる関東・東北を巻き込んだ大規模な争乱や、平安時代末の政治闘争に端を発する”保元・平治の乱”などに活躍をみせるのは彼らです