入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

◇ 久保遺跡(奈良・平安時代

1963年安行中学校のごみ捨て穴を掘った際に、竪穴住居跡より出土した資料を記録したものによるものです、土器類・U字形鍬先・釜・鏃などの鉄製品が出土しています、詳細は明らかではありません、資料は出土後、永らく、川口市立女子高等学校で保管されていましたが、1973年川口市政40周年記念事業のひとつとして開催された「川口市の歴史展」の展示資料収集の折に再整理されたものです

土師器坏形土器の底部に「足」と記されているのものが存在することから、注目されるようになりました

遺跡は、川口市安行原(久保)にあり、川口市立安行中学校の校庭となっています、大宮台地の1支台である鳩ヶ谷支台の東南端に近い位置にあり、広大な中川低地を見下ろす台地上の肩部に当たっています

安行中学校庭からは、縄文時代中・後期の土器片も採集されており、1980年には川口市教育委員会によって一部発掘されおり、貝層を伴う加曾利E式期の竪穴住居跡が検出されています

注目された「足」と墨書きされた土器は土師器土器1類で8個体中4個体です、残りの4個体も水洗時に消去してしまったことも考えられます、8個体すべてに記されていた可能性は十分にあります、「足」という文字が記されている例は全国的にもかなりあり、人名や吉祥句として意義つけられていることが多いようです、しかし、本例は、遺跡の位置からみて足立郡の「足」と考えたいところです

土師器1類とした土器は、埼玉県下では出土例が知られていないもので、東京都下を中心に分布している「南武蔵型土師器坏」に類似しています、多摩川流域と鶴見川流域周辺の多摩丘陵南部の南武蔵に集中的に分布するとされています、その中心からはずれた本遺跡でまとまって出土し、しかも「足」と墨書きされている点は、両者に因果関係があるのかどうか考えさせられて興味深いものがあります