入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

伊興遺跡補習ー16

◎毛長川流域の古墳・白旗塚古墳群

毛長川流域には伊興遺跡の東、東伊興町に足立区内で唯一現存する白旗塚古墳を含む白旗古墳群があります、古くは周辺に数基の古墳(塚?)の存在が知られており、1806年(文化3)に成立した「日光道中分間延絵図」には「兜塚」「二本松塚」「摺鉢塚」「駒形塚」「庚申塚」の他に、3基の古墳らしい塚が描かれています

しかし、『足立区史』(1955)の執筆された頃、開墾によって白旗塚以外の古墳はすでに消滅してしまっていました、開墾以前には、古墳が白旗塚古墳近辺から伊興遺跡・聖堂地区にかけて点々と分布していたらしい、毛長川に臨む自然堤防の縁辺部と平行して、存在していたことが推定されます、言い伝えによるものなのか、これらの古墳に対して金塚のみ方墳とし、他は円墳らしい点を記しています、『区史』では円筒埴輪片および人物埴輪(胴部)・鎧の破片が白旗・谷下(金塚?)より出土したと報告されていますが、現在これらの遺物は残っていません

現在まで伝わる遺物が得られたのは1964年(昭和39)のことです、『区史』(1967)によると、白旗塚周辺の「白幡耕地」が土地改良事業区域となり、「もと摺鉢塚のあった耕地がさらに現在の田圃の地表面の下まで削られ、・・・・・・埋め立ての土として使用せられた」とあり、埋め立て地の表面採集より、「多量の円筒埴輪片や、人物像四体・馬の首部や太刀の破片を採集することができ」、「さらに破片の散布している線を追求した結果、田圃の地表下三〇センチの所で三個の円筒埴輪を発見することができた」、しかも、この円筒埴輪は古墳周縁の埴輪列だったらしく、約90cmの間隔をもって並べられていたようでした、しかし、今となってはこの調査地点すら不明です

その後1975年(昭和50)に白旗塚古墳が東京都指定史跡となり、1987年(昭和62)に区の史跡公園「白旗塚史跡公園」として整備されることになりました、白旗塚古墳に「堀」を巡らした整備でありましたが、結局発掘調査は行われなかったようです、白旗塚古墳群で最初の調査が行われたのは、同年の下水道敷設関連の遺跡範囲確認のための調査からでした、「甲塚」古墳に隣接する試掘坑から紡錘車と堀り込みが確認され、ともに「甲塚」に関連するものと捉えられています、しかし、他の試堀坑からは遺構・遺物の確認はなかったようです

このように伊興遺跡に隣接し、古墳群として古くから知られていたにもかかわらず、依然として白旗塚古墳以外の古墳の確認までは至っていません、いまなお実体は不明であるというのが現状です