入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

イメージ 2

伊興遺跡補習ー12

足立郡周辺の遺跡と歴史的背景(ⅲ)

近年、特に毛長川流域に対する評価が高まり、伊興周辺が足立郡でも一定の役割を果たしていた地域であるらしい点が理解されつつあります

加えて、最近では当時の千住付近が足立郡に属したかの問題もあるものの、豊島郡衙の調査から、8世紀代の古代東海道が豊島群衙より下総国府に至る直線道路であったことの指摘があります、この論によれば、古代東海道とはかつていわれたように墨田区葛飾区を通るそれではなく、より北方の千住付近を通過することになり、古代南足立郡の重要性がますます高まっています

伊興周辺は、足立郡の南辺に、すなわち南足立郡に位置しており、郡内でも最も豊島群衙・下総国府などと近接した位置に存在しています、より南方の千住付近に遺跡も見られず、当時広大な沼沢地が広がっていたらしいことを考えれば、千住付近に駅を置くとしても、律令時代の南足立郡でも中心地的な役割を果たしたことは十分考えられます

隣接した集落としては、「甲和」「仲村」「嶋俣」の三里で構成される『正倉院文書』で名高い大島郷は東京湾岸の自然堤防上にあったことが推定されています、伊興周辺の集落も堀津郷であったかはともかく、毛長川流域に点在したそれぞれの自然堤防上にこの時代の集落が存在していた可能性は高く、出土遺物の検討から、伊興遺跡はおそらくこの頃まで毛長川周辺村落の中心的な役割をになっていたことが推定されます