入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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伊興遺跡補習ー10

足立郡周辺の遺跡と歴史的背景(ⅰ)

東京東部低地の古墳時代の遺跡分布は、大きく3つの地域に区分できます、毛長川流域・墨田川流域(旧荒川)・江戸川下流域の自然堤防上に発達した遺跡群のまとまりです、これらの3地域は後方にそれぞれ大宮丘陵・武蔵野台地本郷台・下総台地など、背後に丘陵・台地が控えている点が共通しています

この点はそれぞれの遺跡群の形成が、これら丘陵・台地と密接な関連をもって発達したことを示しており、事実それぞれの丘陵・台地上には弥生時代後期集落跡の発達の顕著であることが指摘されています、地域ごとの固有の集団によって、低地帯の開発がなされたことを暗示しているといえます、事実、奈良時代に至ると毛長川流域は武蔵国足立郡に、墨田川流域は武蔵国でも豊島郡に、江戸川下流域は下総国葛飾郡編入されています

このように各地域の独自性は顕著であるものの、古墳時代にはじまる低地進出の時期はほぼ同時期である点は注目されます、毛長川流域ではほぼ古墳時代前期を開始の時期としており、隅田川流域でも本郷台からの古墳時代前期集落の進出が云われています、江戸川流域でも柴又河川敷遺跡などに弥生後期土器の出土例が知られているものの、本格的住居の始まりは古墳時代前期とされています

このような前期遺跡のなかでも特に注目されるのは、豊島馬場遺跡です、住居跡などの確認はないらしいものの、多数の方形周溝墓の構築された点は、隅田川流域では前期にすでに本格的居住のなされたことを想像させます、また、この時期にS字甕を中心に、多くの東海系文物の流入する現象も認められます

おそらく、このような低地帯進出の動向と連動した現象と思われますが、特に豊島馬場遺跡ではA類らしいS字甕の出土もあり、このような低地開発が西からの多くの影響のもと、前期でも最も初期段階から開始されたことを暗示しています