2010-07-04 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より ◇ 博物館講座(平成6年2月13日)から 「武蔵の開拓と国造」(大田区立郷土博物館長 慶応義塾大学名誉教授 西岡秀雄氏)〈5〉 「今回の展示では、鏡が沢山並べてあります、弥生時代の鏡はみな中国製で、圧倒的に福岡県に多くて200面以上出ています、ところが、古墳時代に入ると、三角縁神獣鏡という大きな鏡が出てきます、これは福岡県にも少しありますけれども、圧倒的に関西で出ています」 「中国の鏡で年代の入っている鏡の直径を調べますと、大小はありますが、平均値は12.7㎝です、三角縁神獣鏡は平均22.3㎝ですから、これがずば抜けて大きいということがわかります、この鏡は朝鮮半島にも中国大陸でも未だ1面も発見されてないのです」 「というのは、これは日本製だからで、作ったのは呉の人なのです、後の時代の呉です、『魏志倭人伝』でいう三国、魏、蜀、呉です、その呉の人が日本に亡命してきて、大和朝廷のために特別に製作した鏡なのです、日本人は大きい鏡をすごく喜ぶというので、大きい鏡を作ったのでしょう」 「『おまえはどこどこの国造に成れ』と言われて、三角縁神獣鏡を持たされた、これは個人のものだから人に譲ってはいけないというので、その人が死ぬとお墓の中に埋葬したのです、このように私は考えています、それを今我々は堀り出しているのです」