2010-07-05 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より ◇ 博物館講座(平成6年2月13日)から 「武蔵の開拓と国造」(大田区立郷土博物館長 慶応義塾大学名誉教授 西岡秀雄氏)〈6〉 「展示している三角縁神獣鏡のうち、京都市の椿井大塚山古墳の3面と我々が掘りました川崎の白山古墳の1面は、同じ鋳型で作られています、この他に山口県の竹島御家老屋敷古墳、福岡県の神蔵古墳からもそれぞれ1面でていますが、このように鋳型が同じ鏡のことを考古学では『同笵鏡』と呼びます」 「このグループの中心は椿井大塚山古墳ですが、このように全国各地から出ると言うことで『お前はあっちへ行け、お前はこっちに行け』というので、鏡を持たされて行ったということがわかるわけです」 「ついでですが、中国製の鏡で大きいものが100面以上出ているのですが、圧倒的に関西に多いのです、ということは、朝鮮半島に日本が牛耳られては大変だということで、中国の力が入ってきて、こんなに鏡が集中したのだということがわかってくるわけです、勢力が変わるわけです」 「鏡の鋳型は新しいものをとるたびに角が欠けたりして、だんだん模様がボケてきてしまいます、それとは別に、いい鏡が中国から入ってきますと、鏡を粘土の上にギュッと押し付けて型をとって、それに金属を流し込んで作るから、元の鏡より小さくなっていくということが言えます」 「また、中国の鏡とは材質が違いますから、錫と鉛の割合によって作られたところがわかります、このように日本で作られた国産の鏡を『倣製鏡』といいます、模様は似ているのですけれども、あとのつくりです、これに対して外国製の鏡を『舶載鏡』と言います」 「先程、三角縁神獣鏡の大きさを平均22㎝と言いましたけれども、同じ時期で年号の入っている鏡を調べますと、直系が12cmとか16cmあたりは中国の鏡ですが、22cm以上というのは、日本人が中国の技術屋さんに頼んで作らせた鏡だということがわかってまいります、鏡といっても、だれでもが作れるというものではありませんで、特殊な技術者がいたわけです」