入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月20日)から 「『武蔵国造の反乱』再検討」(新潟大学教授 甘粕 健氏)〈24〉

「その頃野毛大塚古墳の2代目の首長が、自前の古墳をつくらないで、中央の1号主体の脇に箱式石棺を作って葬られました、これは見てきたような話ですが、私は今のところそう考えているわけです」

「そうすると、そこにも上野の圧力があるのではないか、つまり、毛野色の強い石製摸造品をもった首長が2代目に即位して、死んだけれども、自前のお墓はつくらないで、1代目の脇に葬られた、初代は長大な粘土槨だけれども、2代目は長持形石棺を簡略化したような箱形石棺に納められています」

「これも南武蔵にはないタイプのもので、太田の天神山古墳とか伊勢崎の御富士山古墳とか、群馬の巨大古墳は立派な長持形石棺を持っているので、有名であります、石製摸造品も上野の模倣で少し粗雑なもの、石棺も上野の模倣で少し手をぬいています、これは話を進めるためにあえて我田引水するわけですが、そういうふうに見えないこともないのではないかと思います」

「それ以後、上野の圧力がずうっと加わる、これは前の私の議論と同じで、八幡塚古墳、天慶塚古墳、いずれも石製摸造品を持っている、御岳山古墳は鈴鏡を持っており、一貫して、何か毛野と関係の深いシンボルを持っているわけです、ですから、全体として毛野の影を見ることができるのではないでしょうか」