入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月20日)から 「『武蔵国造の反乱』再検討」(新潟大学教授 甘粕 健氏)〈14〉

「さらに、鶴見川水系においても似たようなことがあります、上流の谷本川の方では稲荷前古墳群という30~40mクラスの首長墳がつくられて、その中には古い前方後方墳も含まれています、やはり上流と下流との間に明確な不均衡があります」

「例えば上流の稲荷前1号墳は全長46mと谷本川の前期古墳でも一番大きく、立派な粘土槨ですが、鏡もなければ、鉄の武器もないという簡素なもので、管玉とガラス玉が若干あるだけです」

「それに対して、下流の観音松古墳からは立派な中国製の内行花文鏡が出ています、特に白山古墳では豊富な鉄製の武器が副葬されて、強力な首長勢力を示しています」

「しかし、谷本川流域で稲荷前古墳群の小首長が連続的に首長古墳を小さいながらつくっており、これは後の都筑郡に当たる郡領域のまとまりを持っていますし、下流は後の橘樹郡になる地域の首長が日吉・加瀬古墳群で大きな古墳をつくっているわけです」

「ですから、それぞれ後の郡領域をバックにしたような首長系列があるわけですが、その中で30から40mクラスの古墳は、狭い郡なら郡の地域だけを背景にしています、それに対して、それに倍する大きさを持っている橘花の白山古墳や観音松古墳は、後の久良郡もあるでしょうが、都筑を含む幾つかの地域の連合があって、その連合の盟主という立場にいるのが橘花の首長と考えられます」

「同じことが多摩川水系でもいえて、芝丸山古墳とか宝莱山古墳は、多摩川水系でそれぞれ30mクラスの首長墓をつくっている幾つかの地域をまとめた連合体首長ではないかと思われます」