2010-05-27 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”〈大田区立郷土博物館編)より ◇ 博物館講座(平成6年2月20日)から 「『武蔵国造の反乱』再検討」(新潟大学教授 甘粕 健氏)〈4〉 「その後、新しい事実が次々と明らかになって20年を超える年月が過ぎてきたわけですが、前述のような論点が現在の資料ではどのように考えられるか、ということをお話ししていきたいと思います」 「資料が2つあります、1つ(図A)は、律令時代の武蔵国、つまり現在の埼玉県、東京都、神奈川県の一部ですが、この地域の前方後円墳あるいは前方後方墳、比較的大型の円墳、いわゆる首長古墳といわれるものの最近の調査から分布を落としました」 「そして、問題になる上野については、上野の南半分を、分布図をつくって比較できるようにしました、上野の主要な大型古墳は大体この中に入るわけです」 「この分布図は前方後円墳と前方後方墳、円墳がわかるように描きわけましたが、黒は前期古墳、白ぬきは後期古墳としました、ただし、厳密にいうと、白ぬきは、前・中・後期に分けると中期の末期から後期です」 「というのは、埼玉古墳群が出現するのは中期末で、武蔵の古墳の移り変わりを考えるとときには、ちょうどその時期が大きな境目になるので、埼玉古墳群出現以前と以後ということで、以前が黒、以後を白ぬきにしております」