入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈29〉

[質疑応答]

〇質問

「これまでのお話の中で、いろいろと古墳の名称が出てきましたが、同じような名称がたくさんあるのはどうしてなのでしょうか」

〇梅澤

「その土地の民間信仰から付いた名称で、例えば、『浅間山』などという古墳は富士山の信仰です、その土地でも高いところというと、古墳は高いし、山としてもきれいな形だから、富士山信仰の対象となる、しかし、そこへ富士山をおかないで浅間様を勧請してまつりましょうと、それでこの名前が付いたのだろうと思うのです」

「それから、古墳の形から付いた名称があります、例えば『二子山』は二つの山、それから『銚子塚』、今、銚子というと徳利ですが、これはそうではなく昔の長柄銚子という、今でも結婚式のときなどで使う長い柄が付いた銚子に似ていることから付いた名です、『茶臼山』というのは、抹茶をつくる臼、すり臼がありますね、あの形によく似ているので、茶臼山という名称がつけられているのです」

「このように、古墳の名称には信仰に由来する名称や、古墳の形状からつけたものがあります」

〇質問

「地名というのは時代や地域性などによって変わってくると思うのですが、昔のまま残っているのでしょうか」

〇梅澤

「昔の地名が残っているかどうかということですが、土地によっては残っているところもあるし、残ってないところもあります」

「おおむね2字、例えば利根とか多摩とかいう、2音で構成される地名というのは古い地名だと考えていいのではないでしょうか、例えば、群馬県の川を見ますと、古墳がたくさん出来ている流域の川には、イノ(井野)川、ハヤ(早)川、カス(粕)川、トネ(利根)川のように2字のところがおおいのです、そういう地名はかなり古くから呼ばれていただろうと思います」