入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(太田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈19〉

「このような訳で、保渡田古墳群は5世紀から6世紀の初頭ぐらいにつくられていると思います、さらに好都合なことに、すぐ近くで三ッ寺遺跡(三ッ寺Ⅰ遺跡)がみつかっています、三ッ寺遺跡は豪族の居館址です」

「この遺跡は、3つの古墳の内、二子山古墳の主軸線を後円部からずっと延ばしていった方向にあり、一辺が100mぐらいで周りに堀を回らせている居館の跡ですが、新幹線路線の建設に先立って実施された発掘調査で見つかったものです」

「三ッ寺遺跡は保渡田古墳群の二子山古墳の首長の居館であった可能性が非常に強いのです、そこから出ている遺物、特に土器が同じ時期のものなのです、このことから見てはぼ間違いなく保渡田古墳群の首長が住んだ居館であろうと思われます」