入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈18〉

「この保渡田古墳群の3基の古墳ではどれが最初につくられたものかというと、時期差はほとんどないと思うのですが、あえて言えば二子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳の順で次々とつくられていったであろうと思います」

「おそらく5世紀の後半、といっても末から6世紀の初頭、せいぜい20年ぐらいの間につくられたのだろうと思います、なぜかといいますと、群馬県の古墳を調査する上では非常に便利なところがあります、群馬県伊香保温泉のすぐ上、榛名山の二ッ岳という山です」

「その二ッ岳というのは、6世紀の初めと中頃の2回にわたって大噴火を起こしています、その時の火山灰によって古墳が埋まってしまい、遺跡も埋まっています、火山灰に埋没した黒井峯遺跡というのはその1つの例で、二ッ岳の後の方の噴火で2m以上も厚い軽石の層に埋まってしまっています」

「この二子山・八幡塚・薬師塚という3基の古墳とも榛名山の二ッ岳の最初の噴火、6世紀の初めにその火山灰に覆われているのです、しかも、みな同じような覆われ方をしています、堀の中の火山灰がたまっているのですが、それも掘った後あまり時間をおかない状態でたまっているということで、非常に短い間につくられた古墳であろうと言えます」