入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈16〉

「その中心になるのが保渡田古墳群で、榛名山の南裾野の一番末端の地域、そこに3基の前方後円墳ができます、図Cに、二子山古墳(井出二子山古墳)、八幡塚古墳(保渡田八幡塚古墳)、薬師塚古墳(保渡田薬師塚古墳)という3つの古墳の実測図を並べてみました」

「これらには非常に特徴があります、まず大きさですが、二子山古墳の全長が108m、八幡塚古墳が102m、薬師塚古墳が102m、これらの外形線を同じ縮尺で合わせてみると、その形は八幡塚古墳は二子山古墳を若干小さくして、鍵穴を小さくしたという感じです」

「ところが、薬師塚古墳の方は若干小さくなっているのだけれども、前方部前端の幅は二子山古墳と同じという形です、いずれにしても、これらの古墳は3つとも同じ規格でつくられていることはほぼ間違いないだろうと思います」

「ところが、これらの古墳が太田天神山古墳と同じ設計でつくられたのかどうかということで、墳丘の保存状態の良い二子山古墳を例にとって後円部の円と同じ円を、前方部の中心を円の中心にしてくびれ部に合うように引いてみますと合わないのです、どうしてならないのだろうか考えてみました」

「別の設計方法を使ったのかということも考えられるのですが、この古墳は基本的には太田天神山古墳と同じように、後円部と前方部の2つの円の交点と前方部前端と円の交点の3点でつくられていることは間違いないのですが、古墳プランの実際の大きさは一回り大きいのです」

「つまり、古墳をつくるとき次のようにしているのです、地面に墳丘を盛ります、この後、太田天神山古墳の場合では、墳裾の部分から堀が掘られるのですが、二子山古墳では堀を掘り始める部分を盛り土の墳裾より一定の幅をとって外側にもってきているのです」

「これはどいうことかというと、古墳をつくるのを省力化しているのです、墳丘の土はできるだけ省力化してあまり積まないで、逆に若干設計したところよりも、この場合では6mぐらい幅をおいて、その外側を掘ることによって古墳を大きくする、それで102mぐらいになる」

「太田天神山古墳の2分の1で105mになります、これからさらに12mを引くと93mです、それは不動山古墳の企画設計上の大きさに近いものなのです、とすると二子山古墳は不動山古墳の大きさを基準にしてつくっているということが言えそうだと思います」