入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より

◇ 博物館講座(平成6年2月27日)から 「毛野から上毛野へ」(群馬大学教授 梅澤重昭氏)〈11〉

「朝子塚古墳タイプは、後円部径と同じ大きさの円に前方部の台形を内接するようにこしらえて、後円部と台形の間をブリッジで結ぶ、つまり土橋で台形の墳丘と円形の墳丘を結ぶという形なのです、前橋天神山古墳タイプはというと、前方部がくびれ部にちょうど合う形なのです」

「そういう変わったタイプの朝子塚古墳が、太田の石田川の近くに次の段階、4世紀の最終末だろうと思うのですが、出てくるのです、それと同時に、白石稲荷山古墳がありますが、この古墳も最初の形は朝子塚古墳と同じタイプで、多くの石製品が出ていますが、古い古墳だった可能性が強いのです」

「なぜかといいますと、白石稲荷山古墳の遺物というのは、後円部頂、比較的浅いところに離れて2つ設けられた礫槨という主体部から出たものなのです、この2つの主体部の真ん中の深いところに別の主体部のある可能性があるからです、戦前の昭和10年頃に調査されているのですが、その時はないと言われていたのです、もう1度調査すれば中から出てくる可能性はあると思われるのです」

「どうしてそのようなことが言えるかというと、日吉の白山古墳でも3基の埋葬施設があるのですけれども断面を見ると、上のものは浅く、真ん中の粘土槨が深いのです、そして、この粘土槨から例の三角縁神獣鏡が出土しているのです、ですから、白石稲荷山古墳もまたクエスチョンというふうに考えていいだろうと思うのです」