入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[22]

橘花屯倉」地域では、白山古墳の前方部西角の位置に川崎市幸区・第六天古墳(円墳)が築造されています、複式構造の三味線胴張形横穴式石室内の組合式箱型石棺には11体分の人骨が安置されていていました、この特異な合葬については同時葬で、3、40歳代を中心に10~50歳代の男性ばかりと報告されています

「倉樔屯倉」地域では、横浜市保土ヶ谷区・瀬戸ヶ谷古墳、同西区・軽井沢古墳・と前方後円墳が築造された後、鉄地金胴張唐草文ハート形杏葉・鉄地金胴張鐘形鏡板轡ほか多数の馬具を副葬した室の木古墳(円墳)が築造されています

「多氷(多末)屯倉」地域では、多摩市百草・百草稲荷塚古墳が注目され、一般に天皇陵の墳形と考えられている八角形墳で、現在8例が発見されていますが、その内東国では群馬県北群馬郡吉岡町・三津屋古墳とこの古墳が知られるだけです、このどちらも国府に近い点が特徴です

また、百草稲荷塚古墳は複室構造の三味線胴張形横穴式石室をもっていますが、近くに位置する臼井塚古墳も石室をもっています

このように比較してみると、石室形態に共通する点がみられ、また、前方後円墳八角形墳という大和政権的な墳形が採用されていることにも気付きます、これら古墳の築造時期は6世紀から7世紀初めの間と考えられますが、その特徴からみて、被総者は、それぞれの屯倉経営のため活躍した人物だったのではないかと思われます

たぶん、中央から派遣された官吏だったのではないでしょうか、とすると、これらの地域に屯倉が設置されたのは、6世紀中葉が想定されます