入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[20]

かって、大場盤雄氏は、狛江亀塚古墳の神人歌舞画像鏡は、高句麗人の移住開拓地と伝えられる大阪府河内の古墳(大阪府藤井寺市・長持山古墳、同八尾市・群川西塚古墳)と同笵鏡であり、また金銅製毛彫飾板の文様が高句麗古墳の壁画と類似すること、狛江郷(「狛江」の名は「高麗」と関わりがあると考えられる)が帰化人の配置された地と伝えられる

また、平安時代に刑部直姓の氏族がいたことなどから、この古墳が「河内から移住した首長刑部直の墓で、このとき河内の高句麗人も共に移住したが、刑部氏自身も高句麗人であったろうか」と帰化人の存在を想定しています

これが全て確かと云えないにしても、このような影響の下で狛江亀塚古墳が築造されたことは、帆立貝形古墳という墳形からみても考えられることでしょう

このような外来文化の伝播を想定しうる古墳が多摩川流域に現れることは、その後の屯倉設置とその経営、さらに武蔵国府設置への布石として重要なポイントとなると云えるのでしょう

尚、多摩川流域の日野市・落川遺跡からは「火熨斗(ひのし・古代のアイロン)」が出土しています、古墳出土の火熨斗は5世紀代と考えられる例が多く、これらは朝鮮半島製であるとされています

しかし、落川遺跡例は11~12世紀の掘立柱建物址の柱穴より出土しており、日本製のようで、、この遺跡に伝世したとしても、その製作年代は明確ではありません、ただし、外来文化の影響という点では、やはり注目すべき資料のようです