入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[9]

5世紀第4四半期になると、上毛野と北武蔵で新たな勢力が出現します、上毛野では、現在の群馬郡に保渡田三古墳と呼ばれる前方後円墳(井出二子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)が継続的に築造されます、これらは、その南東約1kmに所在する三ッ寺Ⅰ遺跡と深い関係があるとされています

三ッ寺Ⅰ遺跡は、榛名山東南麓扇状地端に位置する豪族居館跡と思われます、「館は86m四方の方形をなし、大小の張り出し部があり、盛り土・石垣により礎面を築き、周囲を多重柵列により南北に区画」され、北区画には竪穴住居のある日常的空間が、南区画には東国最大とされる掘立柱建物の主殿を中心に、大小の掘立柱建物と祭祀用石敷や井戸が配置される儀礼用空間が設けられ、石敷の場へは西濠から水道橋が架けられています、「外周には幅32~40mの大規模な濠が巡り、全体規模は約160m四方に及ぶ」とされています