2010-03-28 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[3] 前橋天神山古墳では紡錘車形碧玉製品が出土しています、これは、奈良県・メスリ山古墳例のように玉杖のような杖形儀器の部品であったとの見方もありますが、単独でも宝器として用いられたとも云われています どちらにしても、当時の首長権を示す道具であったと考えられますが、宝萊山古墳、白山古墳の次の世代の首長墓とされる観音松古墳(全長約86m)からも出土が知られています このように三角縁神獣鏡や紡錘車形碧玉製品によって特徴付けられる前方後円墳が、南武蔵と上毛野に出現することがわかり、これらの地域がすでに4世紀から5世紀初めの頃、大和政権と政治的な関係を結んでいたことが理解されます、しかし、この時期の北武蔵では、同様な前方後円墳の出現は未だみることができないのです