入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より 総習[1]

3世紀末から4世紀初め以来、古墳は各地で造られるようになりますが、これらの古墳の核となるのは、大和政権の影響を受けた「三角縁神獣鏡」を副葬し、「長大な割竹形木棺」を備えた「前方後円墳」でした

埋葬施設には「竪穴式石室」や「粘土槨」など、密封性の高い構造が採用され、「鏡」や「碧玉製品」といった祭祀的な宝器と考えられる副葬品が、武器・農工具・装身具と共に副葬されています

このことは、被葬者(首長)に、まだ、弥生時代以来のマツリの司祭者としての祭祀的性格が残っていたことを思わせます