入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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考古学で読む「日本書紀

武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より [2]

日本書紀」巻一八、安閑天皇(534)の条に記されている「武蔵国造の乱」の記事の意訳文は次のようになります

武蔵国造笠原直使主(人名)と同族小杵(人名)が国造の地位を相争い、年を経ても決めがたい状態であった、小杵の性格ははげしく逆らうことがあり、高慢で素直さがなかった、そして密かにおもむき援助を上毛野君小熊(人名)に求め、使主を殺そうともくろんだ、使主はこれに感付き逃げ出し、京へ参り出て、そのありさまを訴えた、朝廷は収拾にあたり裁断を下し、使主を国造とし、小杵を征伐した、国造使主はかしこまり喜び、思いがかなったことをそのままにしておくことができなかった、そこで、謹んで国家のために、横渟・橘花・多氷・倉樔、四ヵ所の屯倉を設け献上した、この年は即位元年甲寅(534年)である」