入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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金錯銘鉄剣(辛亥銘鉄剣)と埼玉(さきたま)古墳群 [58] 

更に、有力な学者、研究者の考察をたどってみる

◇ 高橋一夫氏(埼玉県立博物館長・近著「鉄剣銘115文字の謎に迫る」より)の考察 ⑨

「瓦塚古墳では中堤に埴輪群が配列され、その様相を復元した若松良一氏は殯(もがり)を表現していると考えた、だが日高慎氏は、埴輪は生前に発注しているという視点から、埴輪群は生前の神を祭る儀礼を再現したもので、瓦塚古墳の埴輪群も歌舞音曲や飲食の場面をあらわし、吹放ちの家は楼閣であるという」

「すなわち、この楼閣で埴輪群像の示す儀礼がおこなわれ、入母屋造建物と寄棟造高床建物を加えた3棟の建物は首長の居宅を表現していると考える、同じ素材でありながら見解を異にするように、埴輪群像の意味するところを解きあかすのはむずかしい」

「埴輪群像に関しては、①殯説、②首長権継承儀礼説、③葬列説、④首長の生前の姿を顕彰する説、⑤供養・墓前祭祀説、⑥死後の世界のために犠牲となった動物とその儀式を執行する犠牲説、⑦死後の世界における近習(きんじゅ)説、⑧他界での理想郷をあらわした神仙世界・他界王宮説、⑨神宴儀礼説、などがある」

「埴輪は本来、近藤義郎氏が説くように死者あるいは神となった首長への飲食物供献や共飲共食用に使われた特殊器台と特殊壺が円筒埴輪と朝顔形埴輪に発展したものである、その後器財形埴輪が出現し、それらを後円部の主体部上に方形に配列し、墳丘には円筒埴輪や朝顔形埴輪をめぐらし、墳丘を禁忌の場とした、墳丘の大型化と墳丘禁忌の思想から、墳丘上での儀礼は不可能となり、造り出しで儀礼がおこなわれたのである」

「5世紀中頃に人物埴輪が登場し、新しい思想にもとづく埴輪群の配列がはじまった、人物埴輪は多様性をもつが、若松良一氏は殯(もがり)という視点から①神人との共飲共食の再現(酒壺を捧げる巫女)、②魂振り歌舞の再現(踊る男女、弾琴など)、③狩猟の再現(鷹匠、狩人、犬と鹿・猪の組み合わせ)、④鎮魂儀礼の再現(力士像)、⑤警護集団(武人像)、⑥辟邪(巫女などの鳴絃と盾持ち人)、⑦参列者(盛装の男子全身像や女子像、農夫など)、⑧誄(しのびごと)の言上者(跪座像)、⑨馬列、に分類した」