2009-11-30 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 川口の古を考える (新郷古墳群)高稲荷古墳・大字峯 [3] 高稲荷古墳は平野の真ん中にある独立丘陵上にあることから、周辺の地理的な目標物としての意味をもちながら、周辺民衆の信仰の対象でもあったと思われます、特に、古墳時代後半期の古墳群のほとんどが平地に築かれていることと比較すると、高稲荷古墳の隔絶した年代と性格を推定することができます 墳丘の規模からみても高稲荷古墳は、埼玉県南部においては最大級の数値を示しており、その平面プランも後円部直径が前方部幅の約2倍、後円部の高さと前方部の高さの差が3mあり、しかも前方部が比較的短いという形態的な特徴を示しています、この形態的特徴は、全国的な視野からみて古墳時代の中でも古式に属するものであると云えるでしょう 埋葬主体の基本的な構造が、木棺を中心として粘土を用いたものであり、「粘土槨」または「木棺の粘土床」とよばれるものであると推定されることも、高稲荷古墳が古式の様相を示していることを物語るものでしょう 粘土槨は遺骸を納めた木棺を粘土で被覆して土中に埋葬する方法で、粘土床に木棺を安置して土中に埋葬する方法よりも、やや複雑な構造をもっています、高稲荷古墳の粘土施設の残存状況から判断すると長さと幅が一般の粘土槨よりも小さく、むしろ木棺の粘土床とみた方がよいでしょう 粘土床をもつ木棺を埋葬主体として採用している古墳の例は、特に関東地方ではいずれも古式古墳であって、副葬品も少ないのが特徴です、高稲荷古墳の副葬品が、埋葬主体の破壊によって失われているとはいえ、大刀の小破片のみというのは、もともと副葬品が極めて少なかったとも考えてよいでしょう