入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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川口の古を考える

宮合(みやあい)貝塚遺跡第1、2次調査

大字西立野字宮合1043~1105ー2地点 [3]

遺跡は台地部の標高19.5mから北側に広がる低地部の標高5.0mに至る比高差の激しい地形的特性がある所にあります、ハマグリ、オキシジミを主体とする貝塚が3ヶ所あり、遺物として縄文時代中期加曾利E式、同後期堀之内Ⅰ・Ⅱ式、安行Ⅰ・Ⅱ式、同晩期安行Ⅲa・Ⅲc・姥山台、また弥生町式、五領及び国分期の土師器などが確認されています

貝塚は小形の地点貝塚の形態を示し、遺跡のほぼ中央部、北側に伸びる台地鞍部の上に密集する状態で位置しています、標高は現地表面にて約18.4mないし18.05mです、今回の2次調査によって、その西端の状況の一部が明らかになりました、なほ、住居址など直接居住区として認識できる遺構は未だ確認されていず、一般に言われるようにそれが台地平坦部に位置するものであるならば、遺跡の範囲はより南側に広がるものと思われます

遺跡の主体地部は、台地最頂部から北に伸びる小舌台地鞍部に求められるようです、この小台地は北端で低湿地より南西に深く入る谷に面し、その谷は途中からその方向を南に転じ、標高15m前後で谷頭を形成しています、また、小台地中央部には屋根すじに相当する位置に、逆に小谷が形成され、あたかもこの台地は陵が2つあるかのようです、2次調査ではこの小谷の全容を知ることはできませんでしたが、この現地表ではあまり明瞭に現れない埋没した小谷が、当貝塚の全体の空間構造、生活景観を決定するのに大きな要因として影響したと思われます

遺跡の範囲は、北側の小谷から東側は赤堀用水が南に湾曲して流れる幅約60~100mの谷を境としているようです、この小舌台地は台地全体が低湿地に突出したものでなく、台地傾斜部にのる小台地で、直接低地に対する北および東側では鞍部との比高は大きく、傾斜の角度は急ですが、北西から南西にかけての斜面はゆるやかです、台地中央の埋没小谷により台地の尾根は東西に枝分かれ、この小谷は当時の生活景観のありかたに大きな影響を与えたように思われます