入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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川口の古を考える

二軒在家遺跡・朝日4-3地点調査 [4]

中世では、建物跡1棟(3号建物跡)と土坑1基(2号土坑)、畝状遺構を検出しました、建物跡は柱穴の規模やその本数・配列から、3っの部屋をもつ壁立ち住居ではないかと思われます、2号土坑は3号住居跡の北西側の1室の範囲内に完全に内包される位置で確認されたことから、同建物跡に付随して構築された「掘り下げ土間」であったと思われます

3号建物跡は、建物の外壁を支える柱として、22個の柱穴をもち、3っの部屋の間仕切りに4本の柱をもっています、多くの柱を用いていますが、各柱穴の平面的規模を見ても径0.3m程の規模の小さいものであり、深さも大体遺構確認面から0.3m前後と浅く、また、柱間は広いところでは1.7m程度で、大体0.9m程と狭小なものとなっています

これらのことから、通常の平地式・高床式の建物とは考えにくく、多くの細い柱で壁を支え、その壁で更に屋根を支える壁立ち式の住居ではないかと思われます

畝状遺構は、同範囲において、何度も場所をずらしながら耕作が繰り返されたのか、明確に一条一条が見て取れるという状態ではありません、しかし、概ね東西方向に畝状の条が数条確認されたことから畝状遺構と判断されます