入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

里字屋敷添遺跡群

平成13年に、埼玉高速鉄道が鳩ケ谷市内を南北に縦断する国道122号線の下に開通しました、また、その開通に先立ち、県道東京・大宮線、別名・第2産業道路も市内を横断するように開通しました、鳩ケ谷市は、幹線道路が交差する現代交通の要となりつつあります

鳩ケ谷市の歴史を振り返れば、古くは弥生・古墳時代に旧入間川流路沿いに、人・物の往来があり、鎌倉時代にも、幕府があった鎌倉と奥州を結ぶ幹線道路の鎌倉中道が市内地域を縦断しておりました、さらに、江戸時代直前には、徳川家康がこの道を通って会津に向う途中、市内で1泊した直後、関が原の合戦に勝利し、以来270年続く江戸幕府を開きました、この道は縁起の良い道として整備され、代々の徳川将軍が家康を祀る日光東照宮参拝の専用道路となりました、鳩ケ谷はその宿場町として繁栄しました

これから掲載していく里地区は、122号線に面して開設された埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅の西側一帯に広がる地域です、その内容は区画整理事業に伴う道路建設に先立ち、平成7年に始まった埋蔵文化財の発掘調査報告です、20次に及ぶ調査では、室町時代から江戸時代にかけての多くの資料が得られました、ただ、惜しむらくは調査対象が、県道東京・大宮線(第2産業道路)の用地に多く含まれており、調査後の道路建設で遺跡が失われたことです、市街発展のため仕方がないことなのでしょうが残念です

尚、先に掲載しました里地区の調査報告は近年のもので、その資料の見解、判断がより明確になり、里地区全体の相互関係がより理解し易くなると思い、発掘年次に逆行して申し述べました