2009-01-14 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 鳩ケ谷の古を考える 三ッ和遺跡・八幡木1-19-4地点調査 <自然堤防の成り立ち過程・続> 一方、今回の調査地の北北西180mに位置する第5次調査地点(図5番)では、自然堤防の黄褐色土(地山)直上で、後期の注口式土器が原位置を保って検出されている、このことから、第5次調査地点においては縄文時代後期の時点で既に自然堤防が形成されていたことが考えられます 旧入間川の対岸の自然堤防で東南800mの位置には川口市の縄文時代の江戸袋(東光院)貝塚があり、この2地点では、縄文時代後期の時点で、自然堤防が形成されていたとも考えられます、江戸袋(東光院)貝塚ではハマグリ、シオフキなど海棲の貝が出土している、また、北の鳩ケ谷支台の川口市内には、石神・宮合・新郷・猿貝などの縄文後期から晩期にわたる貝塚があり、それぞれの貝塚からはヤマトシジミ・ハマグリ・カキ・シオフキ・サザエなどが出土している、このことは、川口市や鳩ケ谷市周辺の低地にはこのような貝類が生息する海と発達した自然堤防がともに入り組みながら存在していた状況が考えられます