2008-08-20 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #埼玉県 米づくりの技術をもたらした人々・弥生人について考えてみる <稲作の始まりとつたわり> ー自分なりに考えたことー 水田稲作の確立成功と、加えて漁猟とで食料の確保が安定するようになると、それまでの時代とは比較にならないくらい人口は増加したのでしょう、そして、それによる貧富の差、政治的不和の発生、その他の事情により、人々は水田稲作に適した土地をひろく探し求めたのだと思います 紀元前1000年前後位に何かの情報により、朝鮮半島西南部や日本列島のことを知ったのでしょう、そこは水田稲作に適し、漁猟、狩猟にも恵まれ、四季の変化もあることがわかったのでしょう 舟の操作の得意な者の集団が先を争うよに、朝鮮半島西南部や日本列島をめざしたのでしょう、主ルートは山東半島ー朝鮮半島西南部ー北九州で、また、他のルート、長江下流から直接北九州、或いは南西諸島から九州も皆無とは言えず、万難を排して日本列島をめざしたと思われます