入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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赤山陣屋遺跡・川口・江戸時代

近世、江戸時代になると、伊奈氏による赤山陣屋建設による遺構、遺物となってあらわれます、遺構では大規模な堀跡や土塁のほか、土地区画に用いられた溝状遺構や土坑群、建物跡、溝状遺構の付帯施設と考えられる柱穴群などがあります、各堀は箱薬研堀を基本としています

赤山陣屋が立地する台地の周囲は開析谷によって取り囲まれています、侵食谷によって周囲と分断された台地は主軸を北東方向に向けた長方形に近い形状を呈しています、台地の平坦部分を最大限に利用するためには構築物を台地長軸方向に対して平行、または直交させる必要があります、堀跡や土地区画の溝状遺構の主軸方向が、東西南北方向からずれているのはそのためでしょう

先に述べた中世に見られた溝状遺構の主軸方向は北であったことから、中世と近世における土地利用は大きく様変わりしたと思われます、侵食谷は本丸、二の丸、出丸、そして家臣団屋敷地を取り囲む自然の堀と云ってよく、仮に、これらを外堀とするならば、本丸を取り囲む一連の堀は内堀と考えることもできます、このように、赤山陣屋は自然の地形を最大限に利用し、なお、最小限の労力で構築した伊奈氏の土木技術の高さを示しています