蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る
外の海や旧入間川の流れ、荒川低地の水域、流れ、中川低地の水域、流れへこぎだしたり、それらからの受けいれをする初歩的な港のようなものです。
伊興付近は出てくる土器などや小さな舟の模型から考えて、東海地方から海岸沿いに海を渡ってきて、さいたま市、蕨市、戸田市、川口市、鳩ヶ谷市、草加市を切り開いたりする基地であったり、行田市付近にあった”さきたまの津”への中継の場所だったのでしょう。
しかし、小さな舟で海や流れを渡るということや、切り開いた田で稲を作り米を収穫することは嵐、洪水、その他の自然条件に大きく左右されました。人の力ではどうしようもない危険なことがたくさんあったのでしょう。
そこで、人々は何とかそれらを安全、無事に行えるよう神に祈りました。出土品の中には祭りを行い、神に祈った時に使ったと思われる土器や、勾玉(まがたま)、小さな舟形があります。
おそらく、伊興付近に舟の中継ぎと安全、無事を祈る集落があったようです。