入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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伊興付近に津があった


今から1700年前ごろから1300年前ごろ(弥生時代末期から古墳時代)に舟を出したり、着けたりするところ(津と呼んでいます)が、足立区伊興付近にあったようです。上のイラストはその想像図す。

外の海や旧入間川の流れ、荒川低地の水域、流れ、中川低地の水域、流れへこぎだしたり、それらからの受けいれをする初歩的な港のようなものです。

伊興付近は出てくる土器などや小さな舟の模型から考えて、東海地方から海岸沿いに海を渡ってきて、さいたま市蕨市戸田市川口市鳩ヶ谷市草加市を切り開いたりする基地であったり、行田市付近にあった”さきたまの津”への中継の場所だったのでしょう。

その人々(弥生人)は稲を作り米を収穫するというそれまでの人々(縄文人)がもっていなかった技術をもっていました。また、準構造船(深さ80センチ、長さ8メートル)という舟を操ることもできました。

しかし、小さな舟で海や流れを渡るということや、切り開いた田で稲を作り米を収穫することは嵐、洪水、その他の自然条件に大きく左右されました。人の力ではどうしようもない危険なことがたくさんあったのでしょう。

そこで、人々は何とかそれらを安全、無事に行えるよう神に祈りました。出土品の中には祭りを行い、神に祈った時に使ったと思われる土器や、勾玉(まがたま)、小さな舟形があります。

おそらく、伊興付近に舟の中継ぎと安全、無事を祈る集落があったようです。