入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨と正岡子規

今日、朝日新聞28面 ”ふるさと散歩 作家たちの描いた埼玉” シリーズに明治24年秋、正岡子規
大宮公園内の割烹旅館、万松楼に10日ほど泊まった、という記事がありました。

実は、今年5月に同期生のある所への投稿で、蕨にも明治24年に正岡子規が来ているらしいということを知りました。それをコピーしますと、


司馬遼太郎坂の上の雲」を読み返している
この二巻目の「子規庵」という章で”蕨”がでてくることを発見した。以下その箇所を引用する。

子規が寝ている部屋は、相変わらず小庭に面した南向きの六畳の間である。このむさくるしい部屋が書斎でもあり、客室にもなる。
柱に、菅笠がひとつ、それが部屋中でのもっとも重要な装飾であるかのようにかけられている。
まだ達者だった国文科学生時代の明治二十四年の暮、関東のあちこちを歩きまわったときに用いた。蕨の駅前で買い求めた。忍、熊谷、川越、松山の百穴などをまわった。

 武蔵野のこがらし凌ぎ旅ゆきし むかしの笠を部屋にかけたり

と、子規は詠んでいる。

以上がその該当箇所である。司馬遼太郎時代考証がしっかりした作家ときいているので「明治二十四年の暮、正岡子規蕨駅前で笠を買った」というのは事実かとも思うが、小説だからフィクションかも知れない。◇


多分、大宮滞在中か、その前後にあちこち近郊を歩いたのかと思います。蕨駅開設が確か明治26年と記憶していますので、鉄道を使ったのか、他の方法だったのか、それも興味のあるところです。