蕨と正岡子規
実は、今年5月に同期生のある所への投稿で、蕨にも明治24年に正岡子規が来ているらしいということを知りました。それをコピーしますと、
子規が寝ている部屋は、相変わらず小庭に面した南向きの六畳の間である。このむさくるしい部屋が書斎でもあり、客室にもなる。
柱に、菅笠がひとつ、それが部屋中でのもっとも重要な装飾であるかのようにかけられている。
まだ達者だった国文科学生時代の明治二十四年の暮、関東のあちこちを歩きまわったときに用いた。蕨の駅前で買い求めた。忍、熊谷、川越、松山の百穴などをまわった。
柱に、菅笠がひとつ、それが部屋中でのもっとも重要な装飾であるかのようにかけられている。
まだ達者だった国文科学生時代の明治二十四年の暮、関東のあちこちを歩きまわったときに用いた。蕨の駅前で買い求めた。忍、熊谷、川越、松山の百穴などをまわった。
武蔵野のこがらし凌ぎ旅ゆきし むかしの笠を部屋にかけたり
と、子規は詠んでいる。
多分、大宮滞在中か、その前後にあちこち近郊を歩いたのかと思います。蕨駅開設が確か明治26年と記憶していますので、鉄道を使ったのか、他の方法だったのか、それも興味のあるところです。