2012-05-09 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史 戸塚・大門地域の変遷-10 もう一つの課題は、既にその気配が伺われる水害への警戒です、地元に70年以上暮らしている人はこう指摘しています、「例えば区画整理が行われる以前は台地には山林があり、耕地には畑や水田があて雨水を吸い込んでくれた、田の畦で水を止めてくれたが、今は田の畦で一時くい止めることが出来ず屋根に降った水、道路に降った水、すべてが瞬間的にU字溝に流れ込む仕組みになっている」 「自然増水して伝右川から落ちる水を綾瀬川に呑み込めなくなる、伝右川の水が増水して土手の高さまでくると西側の土地に貯まってしまう、伝右川の土手の高さと、けやき通りの高さは同じくらいだから、綾瀬川が満水、次に伝右川が満水になり市街地も水に浸るだろう」、従って、こういう水害への配慮、水防への理解は、住民すべてが共通して持たなければならないことのようです 1973年(昭和48年)、戸塚地域の北部に武蔵野線が開通し、「東川口駅」ができ、さらに地下鉄が東川口駅に接続され、戸塚・大門地域は川口市の北の玄関口としての機能を今後さらに強めることになるでしょう、したがって、市や住民の地域作りへの取り組みは一層大切なことと考えられます