入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

芝地域の変遷ー4

芝地域は沖積低地にあることから、従来より度々水害に悩まされてきました、たとえば1907年(明治40年)の大水害や1958年(昭和33年)の狩野川台風の時は、地域のほとんどが水に浸かり、田畑や家屋が大きな被害を受けました、1907年の水害の時は、救援のための帆前船が長徳寺⑤の門前まで来たと言われています

こうした水害は、荒川や芝川の増水の際、排水が困難となり、中小の水路が湛水したことにより生じたものです、ただ、明治以来のたびたびの河川改修や調整池の建設により、最近では、大規模な水害は発生しなくなっていますが、水との闘いは、低地であるが故の宿命といえるでしょう

また、1923年(大正12年)の関東大震災の際には、この地域は倒壊家屋324棟、半壊家屋225棟など大きな被害を受けました、埼玉県は、震源地から離れていたため、東京都や神奈川県と比べ被害は少なかったのですが、当地域は隣の川口町とともに大きな被害を受けました、このことは共に沖積低地に位置するためからでしょう

芝地域のうち、北部の柳崎地区の一画⑥と、西部の小谷場地区の一画⑦は、大宮台地と呼ばれる沖積台地の末端に位置します、小谷場がかつて芝郷高鼻庄と呼ばれていたのも、こうした地形的な特色を表しています、また、小谷場の台地上には貝塚がありますが、沖積低地がかって海であり、沖積台地の端がかつての海岸線であったことを物語っています