入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

学び合い 〔仲間募集〕 ℡ 048-432-1433

蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

イメージ 1

古地図で見る川口・鳩ヶ谷の歴史

川口・南平柳地域の変遷ー3

川口・南平柳地域は、荒川①を隔てて東京都北区と足立区の北側に位置しています、両地域は真ん中を南流する芝川②によって右岸が川口、左岸が南平柳になっています、共に荒川左岸の低湿地にあり、標高は荒川沿岸の領家5丁目③で1.4m、元郷2・3丁目④で1.6~2m、金山町⑤で1.7m、本町1丁目⑥で2~2.2mとなっています、本町・金山町付近はかなりの盛り土が認められます

比較的高い所の新井町・末広⑦あたりでも2~2.9mです、従って逆に地下水位が高く、金山町・本町付近で1.2~2m、元郷5丁目⑧および東領家付近⑨で1.7~2.4m位となっています、昭和初年位まで随所に湧水地があったと云われます

1-1図によると、川口地域は荒川堤外に善光寺⑩のほか若干の家屋が見られるだけで、ほとんどが堤内旧岩槻道⑪を挟んで両側に住宅や商店・工場が密集し、その北側に錫杖(じゃくじょう)寺⑫があり、それ以北には田畑が広がっています

その主な生産物は米麦など五穀のほか木綿や菜種などがありましたが、地味の真砂に粘土混じりであることから米麦生産が適さない地とされていました、しかし、明治後期に至ると地場産業である鋳物業の興隆に伴って急速な人口増加がみられます

特に1910年(明治43年)の東北本線川口町駅⑬(後の川口駅となる)の開設は、その人口増加に一層拍車をかけることとなりました、1-2図に見られるように駅前通りから旧岩槻道に接する道路⑭の両側には、踵を接するように商店・鋳物工場、そして住宅などが無計画に建ち並ぶようになりました、同時に荒川堤外まで工場や住宅が張り出すようになりました