入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る

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◇ 蕨の歴史ー71

保元の乱の後、後白河上皇のもとで権勢を握った平清盛藤原通憲に対し、乱の行賞に不満を持つ源義朝と通憲に昇進阻まれた藤原信頼とが結び、通憲・清盛を除こうとしました、清盛の熊野参詣の留守をねらって信頼・義朝らは挙兵し、後白河上皇を幽閉し通憲を殺害しました、この知らせに接した清盛は急ぎ京都に引き返し体制を立て直し、彼らを討ち破りました、平治の乱です

信頼は斬られ、義朝は東国へ逃れる途中、尾張国で殺されました、また、義朝の嫡子の頼朝は伊豆国流罪となり、義平は殺され、義経は京都の鞍馬寺に入れられるなど、源氏の勢力は衰退してしまいます

しかし、この両度の乱は、武士階級が始めて歴史の表舞台に登場した事件であり、その実力を見せつけるものでした、多くの武蔵武士たちがあらゆる場面で活躍しており、その様子を描いた『保元物語』や『平治物語』には、横山・西・児玉・猪俣・村山や足立・秩父・熊谷などの名がみえます、なかでも足立氏の活躍は、『平治物語』に生き生きと描かれています

足立氏は「足立系図」によれば、同氏は藤原氏の出自となっていますが、平将門の乱に登場する足立郡司武蔵武芝の子孫とする説もある一族でした