2010-03-10 蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 考古学で読む「日本書紀」 ”武蔵国造の乱”(大田区立郷土博物館編)より [5] 今迄、多くの人が「武蔵国造の乱」について触れてきていますが、殆んどは「日本書紀」に記事があることを紹介するにとどまり、記事の内容について具体的に検討している例は、大変少ないようです そのような中で、文献史学の成果の上に考古学資料を構築し、考古学の成果からアプローチを加えた考察が、和島誠一・甘粕健両氏による「第三章 古墳時代」『横浜市史』第1巻、横浜市、昭和33年(1958)でしょう この考察では、文献史学と考古学をあやしながら、大和政権と武蔵の関係を軸に横浜市を中心とする古墳時代が語られています、なかでも、第二節「武蔵の争乱と屯倉の設置」では、特に各地の古墳の消長を考慮しながら、武蔵国造の乱の記事を検証しています 以下、この考察を中心として記事を展開しようと思います