2009-07-23 蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る 考古・歴史 #人類学と考古学 川口の古を考える 戸塚5丁目遺跡第5次調査・大字戸塚字立山4161-1地点 [3] 1号・2号住居址がきわめて近接した位置に構築されていることは注目されます、両住居址が切り合い関係にないとしても、2号住居址の出入り口が1号住居址によってふさがれてしまうことから、住居として同時期に機能したとは考えられません、両住居址の構築時期にずれがあると考えられます 戸塚5丁目遺跡で住居址が複数時期にわたり構築されていることは第2次・4次調査でも確認されており、本遺跡の各々の地点で住居が継続的に構築され、集落が営まれていたことがうかがえられます 4号住居址はこの調査の住居址で、唯一、円形平面で出土遺物も多く、その規模も5軒の内では最大です、炉址との位置関係でほぼ東向きに出入り口を設けていたと考えられ、東へと広がる低地部を一望できる位置に構築されていたようです 住居址の規模や形状、遺物出土量の多さ、構築位置の好条件などから、この調査区においては4号住居址の特殊性が際立っています、特別な地位にあった人物の居住空間であったのかもしれません 5号住居址では西南隅、東隅、北隅の床面からは火を受けたと思われる炭化材が検出されました、床一面に炭化物の広がりが認められることから、焼失が示唆されます、意図的か偶発的であるかはわかりませんが、第3次調査でも焼失住居が認められており、戸塚5丁目遺跡において焼失住居が複数存在したことがわかっています