入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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川口の古を考える

戸塚5丁目遺跡・大字戸塚字中台5208-6地点 [2]

この地域では、 昭和63年7月の調査が第1次となり、その後、平成11年7月より第2次、平成11年9月より第3次、平成12年2月より第4次調査が行われています、縄文時代の住居址、炉穴、土坑、多数の柱穴、また、弥生時代の住居址、柱穴、平安時代の住居址、建物跡が検出されています

縄文時代早期集落を形成する遺構は、調査区北西側から炉穴が切り合いながら1基検出されたのみですが、東側に隣接する第3次調査区では、同時期の住居址1軒と炉穴1基が検出されています、炉穴はやはり調査区北側第1次調査とほぼ同様な位置関係に単独で検出されています、住居址は炉穴より約22m南側にあり、南側が調査区外に広がっています、楕円形を呈し、浅い堀り込みがあります、柱穴が1基と貼り床が認められます

第2次・第4次調査では早期条痕文期の遺構は検出されていないことから、集落の中心は戸塚5丁目遺跡内でも北側の谷部を望む台地平坦面部にあり、第1次・第3次でも住居址と炉穴は一定の距離をおいて作られていることから、日常の居住空間と煮炊き作業空間を集落内で分離していたのではないかと思われます

縄文時代後期集落を形成する遺構は、住居址2軒と土坑7基が東側と南側にまとまって検出されています、東側に隣接する第3次調査区でも、同時期の住居址1軒と多数の土坑、柱穴群、柱穴が検出されています、今回の住居址2軒は、炉址・入り口部・柱穴がり、不整円形もしくは楕円形です、壁の立ち上がりは認められず、炉穴を中心に柱が巡るものです

3号住居址の柱穴の配置は2基1対となっていることから、建て替えがあったものと考えられます、第3次調査でも住居址が検出されており、東側約40mに位置しています、やはり炉跡を中心に柱穴が巡るもので、壁の立ち上がりは認められません

これらの事から、後期集落の中心は戸塚5丁目遺跡内でも北東側の谷部を望む台地平坦面部、第1次調査区南東部にあると考えられます