入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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川口の古を考える

上台(うわだい)遺跡第7次調査・戸塚3-10-6地点 [2]

この遺跡は川口市の北部、大宮台地鳩ケ谷支台東側にあります、遺跡の東側には中川によって形成された低湿地が広がっており、この低湿地を望む大宮台地東側縁辺は直線状に造り出され、台地と低湿地との比高は大きなものとなっています、また、遺跡東側にはこの中川低湿地より入り込む緩やかな谷があり、遺跡の北側にも同様の浅い侵食谷がみられます、遺跡はこの二つの谷に挟まれた東側に張り出す舌状台地の基部にあります

遺跡のある東川口駅周辺は区画整理も終了し道路も整備され、また、地下鉄線乗り入れもあり、数年前に比べ光景が一変してしまいました

上台(うわだい)遺跡の発掘調査件数は多く、遺跡群とも云ってよいでしょう、調査は6度ほど実施されています、縄文時代晩期の地点貝塚に関するもの(精進場遺跡)と弥生時代後期の集落に関するもので、今回の調査地点の北側へ約500mほど離れたところでは、縄文時代晩期の地点貝塚が検出され、遺物包含層より多量の遺物・動物依存体が出土しています(なかでも東北系の土器が注目されます)、北側250m地点の第5次調査では、弥生時代後期住居址7軒、縄文時代の落とし穴、中近世の地下室・溝・建物跡等が検出されました、住居址の1軒は1辺が6mの大型の焼失住居址で、住居址床面には多量の焼土が分布していました、第6次調査では、やはり中近世の地下室・溝・建物跡が検出されています

北東側150m地点の第3次調査では、弥生時代後期の住居址が10軒確認され、いずれも隅丸方形の形態を示し、住居址内からは良好な土器のセットが出土しています、第4次調査では、弥生時代後期の住居址19軒と平安時代の住居址3軒が検出されています、弥生時代の住居址は隅丸方形・円形の形状を呈しており、数軒には拡張の跡が認められ、大型の焼失住居址が1軒ありました

今回の調査は個人住宅建設に伴うもので、遺跡中央部にあり、標高約18.8mの地点です、この調査によって検出された遺構は縄文時代の土坑6基・ピットと弥生時代の住居址9軒です、これらの遺構は調査範囲に限りがあるために住居址数軒は1部分の調査であり区域外にその殆どを残してしまっています