入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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川口の古を考える

外谷田遺跡・大字根岸字外谷田2985-1他地点調査 [2]

川口市の東部から北部にかけて広がる一般に安行台地と呼ばれている大宮台地鳩ケ谷支台には、140箇所に及ぶ遺跡が分布しています、古くは2万5千年前の旧石器時代のキャンプ跡や海に生きた縄文人の築いた貝塚、稲作を始めた弥生人のムラなどが、眼下に広大な低湿地を見下ろす高台に発見されています

氷河時代から温暖な気候へという地球規模の変化の中で、次第にその姿を変えていった草原や森、川や海といった当時の自然環境と対峙して当時の人々がどのような生活を営んでいたのか、興味の尽きないところです

中でも、この外谷田遺跡のある神根地区は、川口市にあって最も遺跡の密集する地域の一つです、赤山陣屋跡遺跡や叺原遺跡からは、移動生活を繰り返していた旧石器人のキャンプ跡が発見され、テントを張り、バーベキューをした痕跡が発見されています、また、赤山陣屋跡の低湿地からは、3千5百年以上前の縄文の森を形成していたトチの木やハンノキなどの大木が当時のままに発見され、森に生きた縄文人の姿が彷彿と浮かび上がりました

また、石神貝塚は、直径150mを超える巨大なドーナッツ型の盛り土を有する遺跡であることが、最近の発掘調査で明らかとなりました、このような遺跡は東北地方から関東地方にかけて発見が相次いでおり、縄文人が天体観測を行い、一年の暦を作った痕跡と推測する学者もいるほどです

このように、神根の台地は川口市はもとより、県下にあっても原始古代の生活を探るうえで非常に重要な遺跡がある場所となっています、ところが近年、この台地を深く開折する芝川や毛長川上流域(古入間川)に発達した自然堤防上にも、人々の生活した痕跡が発見され始めました

かつては海の底で、人の住める場所ではないといわれていた低湿地ですが、芝川や古入間川などの河川の乱流により形成された自然堤防は、水田稲作など農業技術の発達とともに、古代の人々の新たな活動の場として開拓され、人々の生活の場となっていったようです