入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

35・里字屋敷添第2遺跡⑨里字屋敷添1159-3他地点調査

調査期間    平成10年11月24日~11年3月18日

この調査地は、水田造営がなされていた北部の一部を除き宅地であったため、旧来の自然堆積の自然堤防の土層が良好に残っていました、そのため検出遺構は数多くありました

中世(室町・戦国時代)から近世(江戸時代)の溝跡や井戸跡・土坑の他、小穴などがあります、15~16世紀のものと思われる長軸5、5m・短軸4、3m・深さ1、5mの規模を有する大型の土坑からは陶磁器の他に木片や動物遺体が出土しています、樹種はスギ・ケヤキ・サクラ・アカマツ・モモなど、動物では貝類のハマグリ・イシガイ、哺乳類のイヌが見られます、動物遺体はいずれも一部であることから投棄したものと思われます、この土坑は、大型の掃き溜めか貯水槽として利用されていたと考えられます

花粉分析の結果から、当時の周辺の環境は針葉樹と広葉樹の混交林があり、これらの森林にはノブドウマタタビなどの蔓性植物が絡みつき、付近の開けていたところにはイネ・クワなどが育成されていたと思われます

近世の遺構として、桶状の井戸側を埋め込んだ井戸跡が検出されています、近世中期~近代初頭の18世紀以降19世紀中頃のものと思われます、直径・深さとも2mの範囲に堀り下げ、その中央に直径70cmの桶状の枠を2~3段重ねした井戸側を据付け、周囲を埋め戻しています、底部には、底板からさらに12mの深さまで竹を差し込んでいる井戸跡もあります、このような構造は、素掘りであれば壁面崩落が激しいため、井戸枠を埋め込み崩落を防ぎ、さらに深く節を抜いた竹筒を地下深く埋め込み、地下深い砂層の良好な地下水を汲み上げるためのものと思われます、このような施設は、出土遺物からみて、この調査地では18世紀から導入されたと思われます

この他に、大地震の時の墳砂跡と思われる砂脈が、東西軸の溝跡と平行して2条検出されています