入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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蕨、戸田、川口、鳩ケ谷の古を探る

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鳩ケ谷の古を考える

三ッ和遺跡第7次調査・三ッ和3280地点(現三ッ和2-19の一部)

調査された小穴の中に、中世の掘立柱建物跡と考えられるものがあります、柱穴の深さは均一ではないが、規格的な小穴配置が見られ、規格は2間×2間で、梁行の間隔は2、5m、桁行の間隔は2、2m、柱穴の径30~40cm、深さは12~50cmで半数が30~40cmです、そこからは須恵器の甕片・カワラケが出土しています、中世のものと思われます

第9号溝跡は土師器や須恵器と共に中世の陶磁器が出土しており、中世以降のものと思われます、第3号井戸跡は出土遺物から中世末のものと考えられ、共に出土した元亨元(1321)年と読める板碑には煤が付着していました、この板碑は、他の遺物と共に投棄されたものと思われます、敷地内の源永寺には、市指定文化財となっているものも含め9点の板碑が保存されています

この他、陶磁器を多く出土した第1b号溝跡は江戸時代後期以降のものと思われます、第1号集合溝跡は、上幅が36~100cm・深さ25~62cmで断面形がほぼ逆台形の8本が9、5mの範囲に平行して掘られています、近世以降のものと思われます、西側の第4b号溝跡を切る第4a号溝跡も、この第1号溝跡群の一部と考えられます、第1号溝跡群は、北部が調査区外に延びており、全容は不明です、また、性格も不明ですが、農作にかかわる遺構なのでしょうか