入倉伸夫のシニアライフ-蕨市塚越-

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三ッ和遺跡5次調査

この調査では、縄文時代後期から奈良・平安、中世、近世後半から近代までの遺構や遺物が検出されました、C4グリットの黄褐色の地山からわずかに浮いた状態で、つぶれていたもののほぼ原型を保った縄文後期の注口式土器が検出されました、市内の低地性遺跡で縄文式土器が出土することは珍しくないのですが、いずれも摩滅が激しい破片で、後世に搬入され投棄された状態で発見されます、今回の調査では2片の縄文式土器が出土しましたが破片の単体出土でした、このような状況で出土したことは初めてであり、市外周辺の低地性遺跡においてもこのような例は少ないと思われます

この注口式土器は、土器胴部下の一部に火を受けた跡がみられ、周辺の土層からは目で確認できるような炭化物や焼土も見られず、出土地点下の地山を掘り込んだ遺構も見られません、また、土器の器面や割れ口には摩滅などが認められないことから、後世に搬入されたり、他地域から水流などで流転してきたものではないことは明らかです、当地に完形の個体が放置され、多少の自然移動はあったものの、そのまま現位置においてその上に土が自然堆積して埋没したもののようです、縄文後期の人がキャンプサイト的にこの地を利用し、その折に使用した土器がそのまま埋没したのだろうと思われます

この調査地から、東の旧入間川流路跡を挟んだ対岸の東南約1km地点に、川口市東光院(江戸袋)貝塚があります、縄文後期の貝塚であり、それとの関連が考えられます