蕨、戸田、川口、鳩ヶ谷の古を探る
《安行南辺地域を訪ね歩く》
古谷流路跡や細道(旧道)を探し歩きます
◇ 高稲荷古墳跡地付近 10
不幸にして埋葬主体がすでに破壊されていて、その全容を明らかになしえなかったのが惜しまれるが、墳形や残存していた粘土施設の観察結果からみると、埼玉県南部の古墳文化を考えるうえで、高稲荷古墳はきわめて重要な意味のあることがわかってきます
まず、古墳の立地条件からみると、高稲荷古墳は平野の真ん中にある独立丘陵上にあることから、周辺の地理的な目標物としての意味を持ちながら、周辺民衆の信仰の対象でもあったと思われます、古墳時代後半期の特に古墳群のほとんどが平地に築かれていることと比較すると、高稲荷古墳の隔絶した年代と性格を推定することができるでしょう
墳丘の規模からみても高稲荷古墳は、埼玉県南部においては最大級の数値を示しており、その平面プランも後円部直径が前方部幅の約2倍、後円部の高さと前方部の高さの差が3mあり、しかも前方部が比較的短いという形態的な特徴を示しています、この形態的な特徴は、全国的な視野からみても古墳時代の中でも古式に属するものであることがわかります